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瑞應寺史

大銀杏樹(県指定天然記念物)

 

瑞應寺の歴史

 
瑞應寺は文安五年(一四四八)、生子山城主十一代松木景村公が鎌倉から月担禅師を請し父母の菩提を弔う為に一寺を建立されました。其の父母の戒名(佛國院殿柏翁天真大禅定門、玉林院殿寒山瑞應大禅定尼)に依り「佛國山瑞應寺」と名付けました。
その後天正十三年(一五八五)七月十七日、豊臣秀吉公四国征伐の際、兵火に罹り堂塔伽藍全て烏有に帰し廃寺の姿となりました。
開基松木氏は、弘安五年(一二八二)河野氏と共に弘安の役の戦功に依り、多根川城(生子山又庄司山)に入城して以来、天正十三年(一五八五)の「四国征伐の難」迄十八代約三百年間この地方を領しておりました。
万治三年(一六六〇)徳川治世下になって広島県比婆郡東城町徳雲寺九代の法孫分外和尚が当地方の庄屋河端、神野家に迎えられて入山、白翁禅師(徳雲寺九世)を開山に仰いで再興されました。天正の兵火迄は、城主松木家の菩提寺であったのがこれより一般民衆の寺として復興した訳です。
文政十一年(一八二八)三月六日、十四世月泉義笑和尚代の時出火し諸堂全焼。その後、天保・弘化年間の十五世海外霊洲和尚、十六世観中徳音和尚の代に庫裡、鐘鼓楼、本堂、僧堂、山門、中門、廻廊を再興し次第に旧観に復しました。
明治三十年(一八九七)、二十五世道胤仙室和尚代に専門僧堂を開設。禅門の修行道場として広く学僧が出入りする事になりました。二十六世墻外道見和尚代には寺の格式を宗門最高の「別格地」となり、二十七世雄道百英和尚代に客殿の「千里亭」を新築。二十八世慈雲孝如和尚代に、本堂銅葺屋根替、開山堂を増築されました。更に二十九世大玄一光和尚代には、僧堂、祠堂殿、仙友閣、坐看室等の新築により内外一段と整備せられ、又境内西側に「学校法人ひかり幼稚園」を開設し、子女育成に力を尽くされました。
三十世大慈通元和尚は金毘羅参道下に厠の新築金毘羅殿の銅葺屋根替弁天堂の改修山門の改築、佛像の修復、駐車場の整備等力を尽くされました。又平成九年と十四年には報恩授戒会を自戒師として啓建し、十三年に「萬霊供養塔」、二十一年に寶篋印塔(永代供養塔)を建立致しました。

静かに坐っていい息をしょう
今日一日いい汗を流そう
いま此処をいい出会いにしよう

開山法系並歴代住職

永平開山

永平道元大和尚   建長五年(一二五三)八月二十八日寂

永平二祖

孤雲懐奘大和尚   弘安三年(一二八〇)八月二十四日寂

永平三祖

徹通義介大和尚   延慶二年(一三〇九)九月一十四日寂

総持開山

瑩山紹瑾大和尚   正中二年(一三二五)八月一十五日寂

総持二祖

峨山韶碩大和尚   正平二十一年(一三六六)十月二十日寂

(妙高開基)

通幻寂霊大和尚   元中八年(一三九一)五月五日寂

福昌泰雲開山

石屋眞梁大和尚   應永三十年(一四二三)五月十一日寂

徳雲開山

覺隠永本大和尚   享徳二年(一四五三)十二月十八日寂

徳雲二世 中興

鼎庵宗梅大和尚   文明十三年(一四八一)四月二十日寂

徳雲三世

竹翁宗松大和尚   明應五年(一四九六)五月五日寂

徳雲四世

東巖善譽大和尚   天文五年(一五三六)十一月十三日寂

徳雲五世

木中圭抱大和尚   永禄十二年(一五六九)六月十三日寂 

徳雲六世

不盡善策大和尚   元亀二年(一五七一)六月二十九日寂

徳雲七世

光山善智大和尚   文禄二年(一五九三)十一月十七日寂

徳雲八世

天庵善俶大和尚   元和七年(一六二一)八月二十一日寂

当寺開山

白翁長傳大和尚   寛永十三年(一六三六)十月十八日寂 

  二世

呼鑑音鷹大和尚   慶安四年(一六五一)一月二十二日寂

  三世 中興

分外恩鈯大和尚   貞享四年(一六八七)九月二十二日寂

  四世

要三智玄大和尚   元禄五年(一六九二)十月十三日寂

  五世 再中興

月庭要傳大和尚   享保十五年(一七三〇)十二月十一日寂

  六世

不滅湛然大和尚   元文五年(一七四〇)三月十七日寂

  七世

琢翁廉琱大和尚   寛延元年(一七四八)四月二十二日寂

  八世

格嚴大超大和尚   明和六年(一七六九)八月二十七日寂

  九世

瑞雲暾功大和尚   安永二年(一七七三)十月二十九日寂

  十世

軌外巨範大和尚   寛政四年(一七九二)九月十六日寂

 十一世

定慧圓明大和尚   文化六年(一八〇九)十二月七日寂

 十二世

素山碩道大和尚   文政十一年(一八二八)九月十七日寂

 十三世

大廓禅海大和尚   文政六年(一八二三)十二月十八日寂

 十四世

月泉義笑大和尚   天保四年(一八三三)四月朔日寂

 十五世

海外霊洲大和尚   天保十三年(一八四二) 五月十四日寂 

 十六世

観中德音大和尚   安政三年(一八五六)六月十五日寂 

 十七世

一兮満三大和尚   嘉永四年(一八五一)十二月十四日寂

 十八世

雷澤黙音大和尚   慶応三年(一八六七)七月十二日寂

 十九世

玉圓傳光大和尚   明治十九年(一八八六)旧十二月十九日寂

 二十世

耳山黙仙大和尚   明治二十四年(一八九一)正月二十四日寂

二十一世

圓耳音融大和尚   明治十三年(一八八〇)旧正月四日寂

二十二世

大機慶道大和尚   明治十九年(一八八六)正月二十日寂

二十三世

魯参黙禅大和尚   明治三十七年(一九〇四)七月七日寂

二十四世

圓山梅明大和尚   明治三十一年(一八九八) 七月七日寂

二十五世

道胤仙室大和尚   明治四十一年(一九〇八)三月八日寂

二十六世 重中興

墻外道見大和尚   大正十二年(一九二三)四月十六日寂

二十七世 重中興

雄道百英大和尚   昭和五年(一九三〇) 七月二日寂

二十八世 重中興

慈雲孝如大和尚   昭和二十年(一九四五) 九月二十五日寂

二十九世 重中興

大玄一光大和尚   平成八年(一九九六)七月二十日寂

三十世

大慈通元大和尚  令和四年(二〇二二)七月二十五日寂

三十一世

大孝德存大和尚

三十二世

大倫潔宗大和尚


 
 
 

 瑞應寺僧堂歌

赤松月船 作詞
杉本秀治 作曲

みどりのかげは 深けれど
紫金の台ぞ そびえたり
新居の広野を 見晴して
わが瑞應の 大精舎
 
暁かけて 鳴る鐘の
目覚めを誘う 声をきけ
威儀ただしく あらわれて
坐禅の夜毎 すみわたる
 
春咲き盛る 桜花
荘厳仏土 美しや
遠く海より 大銀杏
目あての色に 秋は燃ゆ
 
たゆるとしなく 流れ来て
めぐみはゆたかに 溪の水
つとめいそしみ 励まずば
われらの行持 なかるらむ